2012年7月18日水曜日

石巻・気仙沼・陸前高田の今④ ⇒ 現実の問題は深く、感情が絡む複雑なものであることを知る


石巻・気仙沼・陸前高田と回り、市役所や商店街でそこに住む人たちの話も聴くことができました。いろんな人がいろんな想いを持って“現実”を生きている、そういう印象を強く受けました。


  “現実”はより困難で複雑な問題 ⇒ 表面だけでなく、深く向き合うこと
政府からの復興予算もつき、復興庁も立ち上がり、東日本大震災からの復興に向けて動き出してはいます。しかし、実際に石巻や気仙沼、そして陸前高田に行けば、瓦礫は確かに片付いていますが多くの課題が山積しており、復興はまだまだこれからということは痛いほど感じます。理屈で説明する必要も無いほどに“感じる”のです。そして現地で話を聴けば、単に瓦礫を片付けて建物を建て直せば住む、というほど簡単な問題ではないことがよくわかります。

例えば仮設住宅や仮設店舗。ひとまずは落ち着いたといっても、2~3年後にはどこか別のところに移転しなければいけません。移転するには、移転先の土地が必要であり、その土地は高台など地震や津波に備えていることが求められます。しかし、震災以降高台の土地に移る人が増え、地震や津波に備えることができる土地は値上がりしています。その反面、沿岸部などの被災地域の土地の値段は値下がりしています。もともと沿岸部に土地を持っていた人は、土地を売って新しい家を高台に建てる、ということが難しくなってきています。

また、生活をしていくためには収入が必要です。収入を得るためには働くことが必要です。しかしながら主力産業の水産業は壊滅的なダメージをうけ、特に水産加工業はその事業活動に不可欠な冷凍施設に大きな被害を受けたことで非常に困難な状態にあります。また、東北の魚介類を敬遠する消費者も現実として少なくなく、東北から離れれば離れるほど原発事故のイメージもあって敬遠しがち(もちろん全てではありませんが)。

同時に震災以降、被災した自治体から他の地域に移り住む人も増えたことで人口は減少。長期的に見ても高齢化が進み、将来の人口減はこのままでは確実。人口が減少すれば、地域内消費は停滞し、行政の財源も減っていくことになります。それは民間のサービスも、行政のサービスも維持をすることすら困難になってしまいます。

つまり、ニュースで伝える表面的な被災状況以上に、複雑な問題が被災地にはあるのです。表面的にとらえるだけでなく、そこで起きている問題、これから起きるとわかっている問題があるのです。復興を考えるのであれば、まずその問題に深く向き合わなければいけません


  食い違う想い ⇒ “感情”を忘れてはいけない
被災地に対する想いは十人十色です。もちろん、“復興”という大局に対しては基本的に同じ想いを被災地に住んでいる方も、それに関わっている方も、離れたところにいる方も同じでしょう。しかし、個別の話になってくれば、その想いには食い違いが出てきます

例えば気仙沼に打ち上げられた第18共徳丸。津波で流されて打ち上げられた300トンの貨物船。この共徳丸を震災の記憶として、モニュメントとして残す、という話があがっています。これに対しても、「見たくもない」「当時を思い出すから嫌だ」といった意見もあれば、「維持費がかかる」「錆びてくることで壊れる恐れもあり危険」といった現実的な意見、「語り継ぐために残すべき」という意見もあります。

また、被災地以外から被災地の状況を見に来る人たちも多くいます。大型バスで案内したり、被災者がその体験を語りながら案内するツアーなども組まれています。こうしたツアーは被災地に観光収入をもたらします。言い方は悪いですが、被災地を見たい・話を聴きたい、というニーズはあり、観光コンテンツとして成り立たつようになっているのです。しかし、これに対しても複雑な想いの方は少なくありません。

復興計画についても、被災地以外の人たちが考えたものは合理的で実行方法までも具体化されたものになっているかもしれません。仕組み作り、という意味ではそれは必要でしょう。しかし、仕組みを動かすのは人です。しかも被災地域に住む人たちの力が必要になります。合理的であっても、感情的に難しいことは十分にありえます。復興には人が必要であること、その人たちはそれぞれの想いを持っていることを忘れてはいけません。そしてその想いの食い違いを乗り越えて進めなければいけないのです。


  それでも未来を描くことが必要 ⇒ 必然となる共同体での知識創造・未来創造
復興には時間がかかります。いくら予算が付いても、復興庁があったとしても、明日すぐに震災前の元通りの姿になる、ということはありません。震災の傷跡を少しずついやしながら、毎日を積み上げていくことで初めて復興につながっていくわけです。それは言い方を変えれば、震災の傷跡の中で現実の問題と向き合い、想いの食い違いを乗り越えて、それでも地道に復興に向けて進んでいかなければいけないということ。

そして復興は単に“元に戻す”というだけでは足りません。震災の教訓を生かし、複雑な問題を解決した社会を作らなければいけないのです。このとき、目の前の問題に対応していくことは必要です。しかし、それだけでは足りません。どういった社会にすべきなのか、そのビジョンを指し示し、多くの共感を集めていかなければいけません。そのためには誰かが未来を語らなければいけないのです。しかも現実を見ながら。

それは言い方を変えれば、今日の現実から描いたビジョンにつながる、リアリティのあるシナリオを見せることが必要、ということです。もちろん簡単なことではありません。一人の頭で考えただけでは足りないでしょう。だからこそ、多くの人が関わりながら、多くの意見を交わしながら、新たな知識を生みながら、未来を創造していく、というアプローチが必要になります。現在、被災地には多くの企業やNPO、自治体からの支援が入っています。こうした人たちが集まって復興に向けて進んでいくことは必然といってもいいのかもしれません。