2012年3月19日月曜日

【ネタバレBookReview】モモ ⇒ 現代社会を強烈に風刺するアナロジー

ミヒャエル・エンデ
岩波書店
発売日:2005-06-16
「はてしない物語」で有名なミヒャエル・エンデの作品「モモ」。1973年に発表された児童文学作品。しかし、子ども向けと侮ることなかれ。中身は非常に深いのです。そのアナロジーは1973年に書かれたものとは思えないほど現代社会を風刺しており、そして強烈なメッセージを発しているのです。ただの児童文学としてだけ受け取るのはもったいない作品、ぜひ大人に読んでもらいたい作品です。


  時間泥棒とイライラしている大人たち ⇒ 現代社会の組織と疲れた人びとそのもの
「モモ」の世界では人びとの時間を盗む“時間泥棒”が登場します。この”時間泥棒”に時間を盗まれると、余裕がなくなり、効率的に仕事をすることばかりに気が取られていきます。「忙しい忙しい」といってイライラを募らせるばかりで、自分の好きなこと、楽しいことも忘れてしまうのです。物語中にはこのように時間を盗まれてイライラしている大人たちがたくさん登城します。

この“時間泥棒”は現実には存在しません。しかし、“時間泥棒”がやっていることは私たちが関わる現代の組織がやっていることとさほど変わりません。目先の利益を確保するために、新たなイノベーションを起こすのではなく、効率化・無駄の排除ばかりに気を取られてしまう、そんな組織の姿と重なります。自分たちの仕事によってどんな社会的価値が生まれるのか、誰に貢献しているのかも忘れ、働く人びとや関わる人びとの健康や楽しみも無視して、ただただより多くの仕事をこなして利益を上げようとするブラック会社そのものです。

そして“時間泥棒”に翻弄される大人たち。その行動は現代社会でもよくみかけるものです。組織に組み込まれ、効率化のために追い回されるばかりで、“忙”の文字の通り、心を亡くしてしまった人たち。ひどく疲れて憂鬱な表情を浮かべている人びとのイメージが重なります。。安易にものごとを批判し、自分の正当性を主張するばかりで、解決策を示すわけでもなく、内省することもなく、受け入れることもしない。なにより、「自分は大丈夫」と思って直視しようとしない。そんな人びとです。


  主人公モモとたくさんの友だち ⇒ 聴く力とつながる力
物語の主人公であるモモはホームレスの子ども。今で言えばストレートチルドレンです。特別な能力が備わっているわけではありません。ただ、相手の話をじっくりと“聴く”ことができるのです。この“聴く”ということが、“時間泥棒”に時間を盗まれてイライラを募らせていた大人たちに、もう一度心を取り戻させることができました。そしてモモは年齢も立場も関係なく、多くの友だちから大切にされる存在となっていきます。

「モモ」の作品中でも丁寧に説明されていますが、この“聴く”ということは簡単そうでいて本当に難しい。ただじっと相手の話を“聴く”。自分の意見を言うのではなく、相手からの意見を待つ。言葉が出てくることを決して邪魔をしない。10聴いたらやっと1返す、といった具合。しかしそうやって“聴く”ということが問題を解決に導くことになるのです。実際、、この“聴く”というモモの姿勢はコーチングやコミュニケーションの理論でも基本中の基本として、重要視されている要素なのです。

そして“聴く”ことから関係性が生まれ、つながりができてきます。作品中はモモの友だちがそのイメージです。ひとつ面白いことは、モモは常に一方的に話を聴いているかというとそうではなく、モモ自身が話を聴いてもらう相手がいることです。それはモモの大切な2人の親友。モモが誰かの話を聴いてあげることで支えているのであれば、そのモモを支えているのがこの2人の親友なのです。そこから見えるものは、関係性=つながりというものの重要さ。結局、一人では全てを解決することはできません。しかしながら、誰かとつながり、助け合うことができれば大きな力となっていくのです。


  過去の話でも未来の話でもいい ⇒ 普遍的な根源に触れる学び
物語自体は主人公のモモが“時間泥棒”から盗まれた時間を取り返すまでの冒険を描きながら進んでいきます。モモ自身も大きな喪失感を味わいながらも、心の奥底から沸いてくる想いに触れ、成長していきます。ストーリーは下手にあらすじを解説するべきではないので、ぜひ作品を読んでみてください。

そして全ての物語が終わった後、ミヒャエル・エンデのあとがきに以下のような一文があります。
「わたしは今の話を、過去におこったことのように話しましたね。でもそれを将来起こることとしてお話してもよかったんですよね。わたしにとっては、どりらでもそう大きなちがいはありません。」
また、物語の冒頭は主人公モモが生まれるはるか昔。古代の劇場で、人びとが劇の世界に引き込まれ、あたかも自分のことのように感じている姿も描かれています。

ここには実に深いメッセージを感じます。モモと時間泥棒の関係は、私たちの根源に触れる話。噛み締めれば噛み締めるほど多くの学びが眠っているのです。そしてそれは過去からの学びでもあると同時に、これから先の社会を考える上で大きな指針にもなりえるものなのではないでしょうか。だからこそ、この「モモ」という物語を単なるフィクションの世界の話ではなく、古代の劇場にいた人びとたちのように、自分のことに置き換えて受け取って欲しい、という作者ミヒャエル・エンデからのメッセージがあるように思います。だからこそ、世界中で愛される児童文学作品となっているのでしょう。